‘*琉球列島のY-DNA遺伝子構成|港川人まとめ’ ***            

○O〇L mikirleie

2016年07月26日 10:22





港川人 ま














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この時点で確認でき、思うのが、『港川人はやはり海洋民族だった』というものです.そうすると、謎の、『洋族』なるものの一文が気にかかりますね、以前のまとめから引用.


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史郎さん
http://smcb.jp/column/detail/1488320/



日本の 成り立ち ― 古代史は おもしろい ―





1,太平洋に 今は無きムー大陸がありました。
  そこでは、比較的高度の文明が 発達していたと思われます。
  この文明を育んだ人種を 『 洋族 』 とします。



  ムー大陸は、或る時突然に沈没し始めました。
  『 洋族 』 はこれに驚き 故地を離れ 華北平原に四散し、さらに
  その周辺部に拡散しました。 一万七千年ほど前のことです。
  沖縄県では 同時代の旧石器時代の人骨化石(港川人)が発見
  されている。




2,『 洋族 』 はムー大陸から列島にも渡来し、南九州の高千穂国の
  成立に影響を及ぼしました。
  後に高千穂国は、天御中主之神,高皇産霊神,天照大御神
  等の 偉人を生みました。 紀元前 十世紀頃のことです。




3,中国大陸で 『 洋族 』 は 殷国を樹立しました。
  殷(いん・紀元前 十七世紀頃~紀元前1046年)
  ・・・以後 異民族との攻防が 繰り返されました。
  また周辺部では 北方系民族に遭遇し 一部は渤海湾を迂回して
  半島に至り、一部は西海を超えて列島に到達しました。



『 洋族 』 は、ムー大陸の深層を記憶に留めたものと思われま
  す。
  そして半島を南下する 『 洋族 』 と  
  西海を渡って列島に至った 『 洋族 』 がそれぞれいました。


  また、中国大陸では 『 漢族 』 が主部を占めるに至ったのです。




4,中国は、春秋戦国の時代を経て、前221年に統一されました。

  秦の始皇帝との 覇権を賭けた戦争に 破れた 『 倭族』 の
 【 徐福集団 】 は東アジアに脱出し、『 洋族』 や古朝鮮系列の
 『 旧午族』 も住む 列島,半島に分かれて定着しました。
  紀元前200年頃のことです。
  前者が 『 倭本族』 であり、後者が 『 倭支族』 です。


(以上一部引用終わり)
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(以下引用)

14-1. オーストラリア先住民は人類最初の冒険家か?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-1.htm



14-1. オーストラリア先住民は人類最初の冒険家か?




  Scienceの9月号にオーストらリアのアボリジニ(先住民)に関する研究が発表されました。「BioQuick」ニュースの日本語訳も転載します。

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Aboriginal Genome Shows Two-Wave Settlement of Asia Ann Gibbons Abstract  Almost a century ago, British anthropologist Alfred Cort Haddon traveled the world seeking samples of human hair, among other curios, for his ethnographic studies of native people. The samples, which lay in a museum drawer for 90 years, included hair from a young Australian Aboriginal man. Now in a paper published online this week in Science, geneticists report that they have extracted enough DNA from that hair to sequence the first complete genome of an Aboriginal. The genome offers the first good look at the origins of Aboriginals, showing that they are one of the oldest continuous populations outside of Africa, the authors say.
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人類最初の冒険家はアボリジニの先祖/遺伝子解析から判明

     オーストラリアの先住民アボリジニの遺伝子を解析する国際研究チームが驚くべき結果を発表した。2011年9月22日号のScience誌に掲載された記事によれば、人類の先史時代の理解を変えるものとなっている。遺伝子の解析に基づき、研究チームはアボリジニの祖先は人類がアジアに広がって行った初期の頃である70,000年前に遡る事ができ、少なくとも24,000年前には現在のヨーロッパやアジア全域に分布した事を立証した。

  この事実が示すところは、現在のアボリジニは50,000年も以前に最初にオーストラリア大陸に移り住んだ人類の直系の子孫であるという事だ。本研究プロジェクトは、20世紀初頭に、西オーストラリア州ゴールドフィールド地域に住むアボリジニの男性から英国の人類学者に寄贈された髪の毛の束に端を発する。それから100年経た今、研究チームはその髪の毛の束からDNAを抽出単離し、最初のオーストラリア人の遺伝子解析と太古の人類がどのように地球上の各地に移り住んだのかの研究に活用する事となった。このDNAからは、近代のヨーロッパ系オーストラリア人特有の遺伝情報が含まれていない事から、このアボリジニ男性の祖先が、現在の他の人種の64,000-75,000年前の祖先から分化した事が明らかとなった。よって、アボリジニは現在の探検家の「はしり」とも言え、その昔アジアに移住し50,000年にオーストラリアに辿りついた人種を、直接の祖先とする。つまりアボリジニは彼らが今日居住する地帯に最も長い歴史を有している事となる。

  この研究により明らかな事は、ゴールドフィールズとシーカウンシルの2地域はアボリジニが歴史的にオーナーであった事が証明されたことである。アボリジニの歴史は、アフリカから発祥した最初の人類がどのように広がって行ったかを理解する為の重要なカギとなる。考古学的検証によればオーストラリアに現生人類が現れたのは50,000年前であるが、本研究によればそれに至った歴史は異なったものと考えられる。 これまで最も広く認められている見解では現生人類の祖先はアフリカにのみ発祥が遡り、そこからヨーロッパ、アジア、オーストラリアへと移住していったと考えられていた。そのモデルによれば、最初のオーストラリア人(アボリジニ)はヨーロッパの祖先から分化したアジア人種から更に分化した事になる。

  しかしながら本研究によれば、アボリジニの祖先が冒険の旅を開始した頃はまだアジア人とヨーロッパ人の祖先は、まだ分化していなかった。アボリジニの祖先が冒険の旅を開始して24,000年程経てから、アジア人種やその他少数人種と混合するようになった。研究チームを率いるコペンハーゲン大学のEske Willerslev教授は「アボリジニの祖先は人類最初の冒険家なのです。ヨーロッパ人やアジア人の祖先がまだ冒険の旅に出ずアフリカや中東のどこかで留まっていた頃、アボリジニの祖先は既に遠くまで広がっていたのです。未知の地域であったアジアを横断し、海を渡ってオーストラリアに上陸したのが、最初の現生人類なのです。本当に驚くべき冒険で、類稀なるサバイバル知識と勇敢さを持ち合わせていたのでしょう。」と説明する。本研究は現生人類の祖先がどのように世界の各地へ移動していったかを理解するのに大変役に立つであろう。古代の骨や歯に典型的に生じる、現生人類の遺伝子コンタミのようなリスクを犯さず、遺伝子解析を行なうには保存された髪の毛サンプルの条件はそれ程よくはなかったが、なんとか古代の人類の遺伝子のみが得られたと研究チームは述懐する。

  博物館の収集品の解析と他グループとの共同研究によって、世界各地の多くの先住民が有する系統の歴史が、例え彼らが近年居住地を変えたり民族的に融合が進んだりしても、追跡調査が出来るようになったのである。「この研究は遺伝人類学者や分子生物学者に大変興味深いものです。そして人類がどのように世界の各地に移動して行ったのかを研究する事が出来るのです。遺伝子配列解析技術とバイオインフォマティクスがこれから更に発展し、種の起源の謎、人類の進化と移動や系統を解明する為のヒトゲノム研究を加速する突破口となるでしょう。」と本研究のもう一人のリーダーでありBGI(北京遺伝子研究所)研究所長であるユン・ワン教授は語る。
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  しかしオーストラリアのアボリジニはY-DNA「C4」であり、出アフリカしたY-DNA「DE」と「CF」の「CF」から分化したハプロタイプなので「C4」よりわが日本独自の「C1」の方がもっと古く歴史があります。またオーストラリアに50000年前には人類が到達していたことは前からわかっていたことで、とりたて目新しい報告ではありません。この研究者はY-DNA「C1」のことを良く知らないようです。困ったものです。何が?掲載に値したのかよくわからない内容でした。残念ながらY-DNA遺伝子解析と日本列島の遺伝子分化を考慮に入れていないかなり独善的な論文で先入観なしに読んでも疑問?だらけの報告でした。政治的なにおいがします。

  しかし50000年前にY-DNA「C4」がオーストラリアに既に到達していたことが再確認できたということは、スンダランドから陸続きではなかったオーストラリア-ニュージーランドの大陸サフールランドに当時小舟で渡ることができる技術が充分にあった、と言うことが改めて確認できたことになります。

  このことは当然もっと古い亜型のY-DNA「C1」は当然同じころに旧石器時代の日本列島に到達していたと考えても不自然ではないのです。ということはY-DNA「C」と行動を共にしていたと考えられているY-DNA「D」も当然日本列島に旧石器時代人として渡ってきていたと考えられます。つまりY-DNA「D2」は縄文人の主遺伝子というだけではなく、旧石器時代人の主遺伝子の可能性も充分あるのです。つまり日本列島にはオーストラリアと同じく旧石器時代から同じ遺伝子集団が50000万年近く住み続けている可能性があるのです。ここで問題は、ではどの遺伝子集団が土器を発明もしくは持ち込んだのか?という点です。答えはまだ全くありません。

  日本人はチベット人やアンダマン諸島先住民を除くいわゆるアジア人と全く異なる遺伝子履歴があり、それほど古い石器・縄文の古代シーラカンス遺伝子Y-DNA「D2」、「C1a」、「C3a」の基層の上に弥生・渡来の新興アジア遺伝子のY-DNA「O1a」、「O2a」、「O2b」、「O3a」遺伝子が複層的に交配した世界でも特殊な民族集団なのです。日本人の行動様式は出アフリカした現代人類の祖先/古代シーラカンス遺伝子が持っていた行動様式を今でも文化の基層に持っている特殊な民族集団です。特に田舎の精神・風土は古代遺伝子文化そのものです。

  今後の旧石器時代の発掘に期待しましょう。


(以上引用終わり)
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もしも、出アフリカ以前の出自があるとしたら、?






つづきは次で







保田利 『Indigo Waltz』

































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